徒然なるままにー

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2018年振り返り、2019年明けまして(心情編)

とてもツライことがあった時、何かを区切りにして、気持ちを切り替える、ということの意味がわかる1年だった。それほど忘れられない、ツライことだから、そういう“タイミング”や“きっかけ”がないと、整理がつけられない。

この年の変わり目に、整理して、2019年に入りたい。恐らく、長くなるけど、自分の整理として記しておく。

 

心がボキッとね

2018年、とてもツライことがあって、心が完全に折れました。ボキッと。ボギボギっと。心が複雑骨折して、その上、ぐちゃぐちゃに踏みつけられた感じ。ええ、瀕死です。外見は普通に生きている人間でも、中は死んでるんだよね。だから、日々が空虚で。歩くように死ねるなら、死にたいと思う日々でした。

 

『あゝ、これはダメだ』

 

と自分自身でもわかったから、病院行って、薬も飲んで。ごまかしごまかし。空虚に、ただただ生きている状態。それでも涙は出てくる。

「1番の薬は“時間”」と言われたけど、その瞬間は、その瞬間にしか目がいっていないので、ハハッて嘲笑していたけど、時が過ぎると、確かにそのとおりだなと。きっと、心のショック状態だったので、救命処理を施されている状態だったんだと思う。

今では一般病棟に移り、薬も飲んでいません。

 

哀しみのリピート再生

出来事ってのは、瞬間瞬間に起きるので、1回だけなんだけど、その原因とか反省、向き合おうとすると、自然とその出来事を思い出さないといけない。そうして、哀しみのリピート再生が始まるのです。1回しか起こっていないことが、脳内リフレインされるのです。そして、それに取り憑かれる。ましてや、それが取り返しのつかないことだと、後悔しかできないので、脱出が出来ないんだよね。後悔後悔後悔。だから、後悔はしたくない。けど、1つ増えました。

※コヨーテの芝居で、こういうことを科白にしているシーンがあって、突き刺さりましたね。

 

周囲の優しさが身にしみる。

今では、ある程度、フツーになりました。

退院も間近かな(比喩デスヨ)。

現実的に近い人達は、このことを知っていて、いろいろ気遣ってくれました。いろんな対応の人がいて、今振り返ると、それはそれでおもしろいなと、人の多様性を見ました。

飲みに誘ってくれる人、話を聞いてくれる人、茶化しながら心配してくれる人、大丈夫だってと軽い人、真正面から受け止めて答えに困る人、スッと受け止めてスッと気遣ってくれる人…全部含めて、心からありがとう。お陰様で、自分に戻ってきています。

 

赤木リツコの「おもしろくないもの、自分のこと話したって」というタイプなので、積極的に何でもかんでも話すタイプじゃないし、感情的に人前で泣くタイプでもないので、自然と気を遣ってくれているのがとてもうれしかった。十分伝わっています。ありがとう。

 

仕事にも救われる。

仕事人間ではないけれど、仕事って、やったらやった分だけ跳ね返ってくる。成果が出るんだよね。それがうれしかった。仕事内容もすきで。

職場の上司、同僚、後輩にも恵まれました。

ありがたいです。

 

時間とお金は消えました。

2018年はそういう状態だったので、何もやる気が起きず、新しいことは何もしなかった。芝居をやりたい気持ちがあったんだけど、全部吹き飛んだ。それどころか、心がないので、ただ流れる時間の中に漂うだけ。とても空虚な日々を過ごしてしまったなぁ。

元来、わりと情熱系の人間なので、心が入らずに何かに取り組むことが苦痛なんだよね。徐々に戻ってきてはいるけど、まだまだな感じ。

心を取り戻したいなぁ。。

 

お金も自然となくなっていった。散財。

 

それでも、有意義に過ごせた瞬間もあった。

明日はそれをまとめようと思う。